堂主のもっとう

はじめまして、明々堂のはりきゅう師

小田崎博司(おださき ひろし)と申します。

「事実に基づく合理的な思考で、自他共に偽りのない治療」

をもっとうにFinger Testを用い日々の治療に勤しんでおります。

開業までの経歴

1993年 明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)入学(京都)
1996年 はり・きゅう師免許 取得
1997年 鍼灸学士号 取得
1998年 明治鍼灸大学附属病院 卒後研修生
1999年 マッサージ治療院コリとれーる(東京)
2000年 鍼灸院 成城ペキン治療院(東京)
2002年 山崎整形外科(埼玉)
2003年 吉本病院(現:吉本クリニック)(佐賀)
2004年 はりとおきゅう明々堂 開業(福岡)

鍼灸師を志したのは中学3年生の頃だと記憶しています。

義務教育の中で理解し難い価値観に度々押し潰されそうになり、このまま両親の意向に従って会社員や公務員になれば形は違えど、この延長線が続くかと思うと・・・

「今のうちに何か手を打たなければ!!」と思ったのがきっかけです。

また子供の頃から興味のあった中国の哲学、医学、武術などに携わり何か仕事ができないかと模索しているうちに自然と密教僧か鍼灸師の二択に絞られました。

進路相談時に「鍼灸師か密教僧になりたい!」と伝えると「家が寺でもないのに坊主になってどうするんだ!!」と猛烈な反対に合い;;

渋々。。。鍼灸師の方は承諾してもらい京都の明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)に入学する事が出来ました。

在学時は夢のキャンパスライフ!?とは裏腹に・・・

朝から晩まで講義と実習の毎日で3年時に鍼灸師免許を取得し、4年時には大学付属研修センターで鍼灸実習に明け暮れる日々でした。

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それでも気の合うクラスメイトと老人ホームへ1週間研修へ行かされたり、互いに鍼を打ち合ったりテストやレポートで共に苦しんだりと、忙しくも楽しい大学生活を過ごす事が出来ました。

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卒業後は鍼灸大学付属病院の卒後研修生として病院業務に携わりながら、2年間みっちりと西洋医学に触れる事が出来ました。

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最初の1年間は2ヶ月ごとに内科、外科、整形、脳外、麻酔、 泌尿器、婦人科などに在籍しながら各科独自の用語や各種検査、病名、手術それらに適応する鍼灸疾患などを学習しました。

OPE場の看護婦さん方にたまに尻を蹴られながらも;;徐々に仕事を憶えていった時期でした。

ナースステーションでカルテを書いたり入院患者さんを治療したり、症例報告や院長回診に付き添ったりと忙しい毎日のなか西洋医学のチーム医療のある意味、凄さを身をもって感じさせられた日々でした。

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残りの1年間は歯科鍼灸の専属として歯科へ在籍しました。

その時に人生初の海外旅行、ネパールひとり旅を敢行させてもらえました。

また現地で偶然にも「よもぎの会」の畑先生にお目にかかる機会に恵まれ、ご厚意によりヘルスキャンプでの治療に参加させてもらえるなど貴重な体験をさせて頂きました。

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歯科に在籍した1年間は自分にとって実りあるモノで医療人として仕事に対する向き合い方、責任感、患者さんに対しての慈愛の精神など非常に多くのモノを教えて頂きました。

今なお歯科スタッフには感謝してもしきれません。

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その後有名な先生の勉強会を求め上京し鍼灸院に就職したはずが!?何故か分院のマッサージ治療院に回され・・

しかし勉強熱心な先輩方に恵まれ1年間マッサージをしながら各種勉強会に参加しました。

この時期に「邪気論」の著者である明観堂の奥平明観先生に出会い治療を受けながら、生まれて初めて目に見えない世界の手ほどきを受ける事が出来ました。

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そして次に「成城ペキン治療院」の藤本明敏(メイビン)先生のもとへ就職する事になります。

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中医師であるメイビン先生の治療を間近で見聞しながら「鍼灸とは!?」という事から鍼の持ち方ひとつまで一から直され、鍼灸師としての中核をこの時期に叩き込まれたように思います。

その後メイビン先生はドイツ人の旦那さまと結婚され現在はベルギーで治療されています。(メイビン先生お幸せにー)

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その後に埼玉の山崎整形外科に就職したのですが、やはり内科領域の鍼灸治療を自分のなかで捨てきれず残念ながら短期で辞職させて頂きました。

短い在籍期間中にも拘わらず、総理事長の山崎先生には暖かい恩情を掛けて頂き心より感謝しております。

その足で一旦地元の北Qへ戻り5ヶ月間のニート生活を送り(この経験は後々に大変役に立ちました・・・)最後の就職先である佐賀の吉本病院へ就職する事になります。

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私が就職した頃はまだ入院施設があり、外来はもちろん入院患者さんにもFinger Testで鍼灸治療を行っていました。

この時期に念願だったFinger Testを院長の吉本英夫先生からご教授頂き、開業するための準備が全て整ったと確信し、地元へと戻る決意を徐々に固めていきました。

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その後北Q本庁のお膝元、雑居ビルの3階で開業し、今も全ての業務をひとりでこなしています。

夕方ともなると周辺のフレンチから美味しそうな匂いが漂ってくる、そんな立地で早12年目を迎えようとしています。

訪れる方のほとんどが鍼灸自体が初めで、お灸を炊くと気持ち良さそうにイビキを掻いて夢の世界へ旅立ちます。

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年齢層は生まれたての赤ちゃんから90歳近いおばあちゃん達まで

一番多い相談は不妊治療のように感じます。

特別、不妊専門ではないのですが・・・未だ理由は分かりません。。。

何はともあれキャラの濃い!?患者さま方と楽しくも真剣に治療に向き合っている昨今です。

2016年1月記 明々堂 おださき